ダウン症の青年に運動指導を行い気づいた人間らしさ
30歳の男です。障がい児者の支援に携わっていました。
私が先生、ダウン症の青年(25歳)が生徒という関係で5年ほど運動指導を行っていました。
ダウン症の青年と日々関わる中で気づいた事
ダウン症の青年と関わっている中で、感じるのはやはり年々動作が緩慢になってくるのだな、ということです。
一つダウン症の特徴ともいわれる部分ではあるのですが、20代に差し掛かるあたりから動作が緩慢になる人が少なからずいると言われています。
私がかかわった青年もそうでした。
決められた時間内で関わるのですが、一つ一つの動作がゆっくりとなり着替えや移動に時間を要すようになってきました。
なので、実質的に運動する時間が短くなってきました。
ただし、本人はいたってやる気満々なのです。
それでも早く出来ないという印象がありました。
せっかく発散と運動不足解消のために来ているのだから、出来るだけ運動時間を確保したいと思いましたが、着替え等で介助をするということはしませんでした。
もちろん、介助すれば幾分か早く運動に移れるとは思いますが、彼にもプライドがあるのが分かりますから、待つというスタイルでいました。
ただし、ただ待っていても本人も焦るしつまらないだろうと思って、着替えの時間を使って冗談を交えたやり取りをするように心がけました。
そういうコミュニケーションで発散する方法もあると思ったからでした。
急かしたり、介助して運動する時間を無理やりねん出しても発散にはつながらないと思ったのです。
もちろん運動不足解消としての役割は果たせますが、楽しさを犠牲にして、継続する気持ちを削いでしまったら本末転倒、という考えでした。
やはり健常者に比べて過ごし方の選択肢が少ないので、そこで楽しさを奪うのはよろしくないと個人的には思います。
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ダウン症という障がいを持っていてもしっかりと人間らしさを大切にする
ただし、障がいがあるから何でもかんでもいいよ、というわけにはいきませんのでバランスが大切だと思います。
日常生活では人に合わせなくてはいけない部分もあるので、頑張ってもらわなくてはいけない部分があります。
もちろん出来るだけ、動作の速度を含めて時間を逆算出来ればいいのですが、急ぐ場面が全くなく彼中心の生活というのも無理があるし、地域で生活する上で、それでは人間らしさに欠けると感じます。
列車だって時間になれば出発してしまいます。そういうことです。彼のためにいつも周りを待たせるのではなく、彼も頑張る場面を作るようにする必要があります。
「どう待ってもらえるからいいや」という考えを彼に持ってほしくないと思っていました。
知的にも遅れがある青年でしたから、もしかしたら細かい話までは伝わっていなかったかもしれませんが、関わる中で支援側が「どうせこの子は」という態度ではなく、出来るだけ周囲と合わせて生活できる支援をしていく必要があると思います。
もし我が子に障がいがあると分かったときには、それはそれは悩むし、落ち込むことと思います。
でも、私がかかわった青年は、多くの人と関わりサポートを受けながら彼らしく、日々を過ごしていましたし、私自身も彼のユーモラスなキャラクターにたくさんのものをもらったことも確かです。
子どもさんの個性は十人十色です。
お子さんの障がいの個性がどういうものか見ながら子育てをしていってほしいと願います。
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